屋上緑化の重要なお知らせ
それが真理であるのは、理論または政策が科学の法則のように時間を超越して有効であることを期待した場合に限られる。
構築物は、行動と同様に、予想外の結果を伴うものであり、このような結果はその創造の時点では適切に予測することはできない。
たとえ結果を予測することができても、その結果は将来になって初めて発生するのであるから、そのままことを進めてもおかしくはないのである。 このため私の作業仮説は、ある行動指針が別のものよりも優れており、最適の行動指針なるものが実際に存在するという考え方と相容れないものではない。
だがそれは、その最適さは歴史の特定の瞬間にしか当てはまらず、ある時点で最適なものも次の時点ではそうではなくなるかもしれないということであす欠陥構築物なのである。 有益な効果がいつまで続くかは、その欠陥が認識され、矯正されるかどうかによって決まる。
このように構築物はますます洗練されたものになるかもしれない。 しかし実りある虚偽がいつまでも存続することはない。
結局は、それを洗練し、発展させる余地はなくなり、新しい実りある虚偽が人々の想像力をとらえることになるだろう。 私が言おうとしていることは実りある虚偽かもしれない。
しかし私は思想史を実りある虚偽で構成されたものと解釈したい。 他の人々はそれをパラダイムと呼ぶかもしれない。
このふたつの考え方の結合、すなわち思想的な構築物はすべて欠陥をもつが、そのなかには実りあるものもあるという考え方が、私独自の急進的な誤謬性解釈の中核にある。 私は同程度の精力をもって、それを外部世界と自分自身の活動に適用している。
これはファンド・マネジャーとしての私にとつて、最近では慈善事業家としての私にとつて、大いに役立ってきた。 それが思想家としての私にとつても役立つかどうかは、目下検証中である。
この急進的な誤謬性解釈は歴史理論と金融市場解釈の基礎にもなるからである。 後者は本書でこれから詳述するところである。
誤謬性に関する私の急進的解釈は抽象的な理論であるばかりでなく、個人的な声明でもある。 ファンド・マネジャーとして、私は自分の感情に大きく依存してきた。
それは私が知識の不十分さに気付いていたからである。 仕事をするに際して私を支配していた感情は疑い、不安、懸念だった。
希望や幸福感さえ抱く瞬間もあったが、それは私を不安にした。 それとは対照的に、懸念は私を安心した気分にさせた。
このため私が体験した真の喜びは、自分がなにについて懸念しなければならないかを発見した時のものだった。 概していえば、ヘッジファンド(注3)の運営は非常に苦痛だった。
私は自分の成功を認めることはできなかった。 それは私が思い悩むのを止めさせてしまうかもしれなかったからである。
だが私は自分の間違いを認めることになんの困難も感じなかっ私は他の人たちに指摘されて初めて、誤りに対する私の態度に普通でないところがあるのかもしれないと気が付いた。 自分の思考や立場に誤りを発見するのは、残念どころか喜びの源泉になるということは、私にとつてはきわめて道理に適っていたため、他の人々にとつても筋が通っているはずだ、と私は考えていた。
だがそうではなかったのである。 周囲を見渡してみると、大部分の人々は自分たちの誤りを懸命に否定し、あるいは隠そうとしていることがわかった。
実際のところ、その間違った見解や行為は彼らの人格の不可分の一部になっているのである。 一九八二年にアルゼンチンを訪れ、この国が抱え込んだ巨額の債務をみた時の体験は忘れられない。
私は以前の政府にいた何人もの政治家と会って、この事態にどう対処するかを聞いてみた。 彼らは一人残らず、自分が政府にいたころ採用していたのと同じ政策を適用すると答えた。
これほど経験から学ぶことの少なかった大勢の人々に会ったのは珍しいことだった。 私はこの批判的態度を慈善活動にも持ち込んだ。
慈善事業はパラドックスや意図に反する結果に満ちていた。 たとえば、慈善は受け手を慈善の対象に固定してしまうかもしれない。
与えることは他人を助けることとされているが、現実には与えるもののエゴを満足させるだけの場合も少なくない。 さらに悪いことには、人々は通常、善いことをしたいからではなく、善い気分になりたいがために慈善事業に携わる。
このような見方をしているため、私は違った態度をとらざるをえなかった。 私はビジネスにおける行動とあまり違わない行動をとつていたのである。
たとえば、私は財団関係者や個々の申請者の利益を財団の使命よりも下位においた。 私がよく冗談をいったのは、われわれの財団は世界で唯一の人間嫌いの財団だということだった。
一九九一年ごろチェコスロバキア(当時)のカルロビバリで開かれたスタッフ会議で、財団なるものに関する私の見解を述べたことを思い出す。 出席者はそれを決して忘れないはずだ。
財団は腐敗と非能率の温床であり、新しい財団を設立するよりも、うまくいかない財団を解散するほうが大きな成果になると思う、と私は述べた。 欧州の財団のスタッフがプラハに集まった時には、ネットワーキングとは「ノットワーキング」すなわち「働いていない」という意味だ、と述べたこともある。
時とともに私が丸くなったことは告白しなければならない。 ヘッジファンドの運営と財団の運営の間には違いがある。
外部からの圧力はあまりなく、批判的な姿勢を失わないようにするのは内部の規律だけだった。 そのうえ、大きな財団を取り仕切るには、技術と指導力が要請されるが、人々は批判的な言葉は好まず、賞賛や激励を求めるものである。
私と同じように誤りを見付けることの好きな人々はあまりいない。 それに喜びを見いだす人はもっと少ない。
有能な指導者となるには、みんなを満足させなければならない。 私は政治家や会社の指導者に自然に備わっていると思われるようなことを苦労して学んでいたのである。
もうひとつ別の影響もあった。 私は時には公の場にも顔を出さなければならなかった。
そしてそのような場合には自信を披渥することを期待された。 だが実際には、私は自信喪失にとりつかれていた。
しかもその気持を大事にしていた。 私はそれを失いたくなかった。
私の公的な人格と私が本当の自分だと考えるものとの間には大きな開きがあったが、私はこのふたつの間の相互作用的な関係を知っていた。 私は驚きをもって、公的人格の展開がいかに私自身に影響を与えるかを見守ってきた。
私は「カリスマ的」人物になった。 幸いなことに、私は他の人々ほど私自身を信じていない。
私は以前ほど強烈には自分の限界を感じていないにしても、それを忘れないように努めている。 しかし他のカリスマ的人物は、私と同じ道を通って指導的地位に到達したわけではない。
彼らには私と同じ記憶はないだろう。 彼らはおそらく、つねに他人の信頼を得ようと努力し、ついにはそれに成功したことを思い起こすだろう。
彼らは自信喪失にさいなまれていたわけではなく、それを表明したいという衝動を抑える必要はなかったのである。 現在の私の「カリスマ的」人格が金融市場やファンド・マネジャーとしての以前の私とどんな関係にあるかを考えることは興味深いことだ。
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だがそれは、その最適さは歴史の特定の瞬間にしか当てはまらず、ある時点で最適なものも次の時点ではそうではなくなるかもしれないということであす欠陥構築物なのである。 有益な効果がいつまで続くかは、その欠陥が認識され、矯正されるかどうかによって決まる。
このように構築物はますます洗練されたものになるかもしれない。 しかし実りある虚偽がいつまでも存続することはない。
結局は、それを洗練し、発展させる余地はなくなり、新しい実りある虚偽が人々の想像力をとらえることになるだろう。 私が言おうとしていることは実りある虚偽かもしれない。
しかし私は思想史を実りある虚偽で構成されたものと解釈したい。 他の人々はそれをパラダイムと呼ぶかもしれない。
このふたつの考え方の結合、すなわち思想的な構築物はすべて欠陥をもつが、そのなかには実りあるものもあるという考え方が、私独自の急進的な誤謬性解釈の中核にある。 私は同程度の精力をもって、それを外部世界と自分自身の活動に適用している。
これはファンド・マネジャーとしての私にとつて、最近では慈善事業家としての私にとつて、大いに役立ってきた。 それが思想家としての私にとつても役立つかどうかは、目下検証中である。
この急進的な誤謬性解釈は歴史理論と金融市場解釈の基礎にもなるからである。 後者は本書でこれから詳述するところである。
誤謬性に関する私の急進的解釈は抽象的な理論であるばかりでなく、個人的な声明でもある。 ファンド・マネジャーとして、私は自分の感情に大きく依存してきた。
それは私が知識の不十分さに気付いていたからである。 仕事をするに際して私を支配していた感情は疑い、不安、懸念だった。
希望や幸福感さえ抱く瞬間もあったが、それは私を不安にした。 それとは対照的に、懸念は私を安心した気分にさせた。
このため私が体験した真の喜びは、自分がなにについて懸念しなければならないかを発見した時のものだった。 概していえば、ヘッジファンド(注3)の運営は非常に苦痛だった。
私は自分の成功を認めることはできなかった。 それは私が思い悩むのを止めさせてしまうかもしれなかったからである。
だが私は自分の間違いを認めることになんの困難も感じなかっ私は他の人たちに指摘されて初めて、誤りに対する私の態度に普通でないところがあるのかもしれないと気が付いた。 自分の思考や立場に誤りを発見するのは、残念どころか喜びの源泉になるということは、私にとつてはきわめて道理に適っていたため、他の人々にとつても筋が通っているはずだ、と私は考えていた。
だがそうではなかったのである。 周囲を見渡してみると、大部分の人々は自分たちの誤りを懸命に否定し、あるいは隠そうとしていることがわかった。
実際のところ、その間違った見解や行為は彼らの人格の不可分の一部になっているのである。 一九八二年にアルゼンチンを訪れ、この国が抱え込んだ巨額の債務をみた時の体験は忘れられない。
私は以前の政府にいた何人もの政治家と会って、この事態にどう対処するかを聞いてみた。 彼らは一人残らず、自分が政府にいたころ採用していたのと同じ政策を適用すると答えた。
これほど経験から学ぶことの少なかった大勢の人々に会ったのは珍しいことだった。 私はこの批判的態度を慈善活動にも持ち込んだ。
慈善事業はパラドックスや意図に反する結果に満ちていた。 たとえば、慈善は受け手を慈善の対象に固定してしまうかもしれない。
与えることは他人を助けることとされているが、現実には与えるもののエゴを満足させるだけの場合も少なくない。 さらに悪いことには、人々は通常、善いことをしたいからではなく、善い気分になりたいがために慈善事業に携わる。
このような見方をしているため、私は違った態度をとらざるをえなかった。 私はビジネスにおける行動とあまり違わない行動をとつていたのである。
たとえば、私は財団関係者や個々の申請者の利益を財団の使命よりも下位においた。 私がよく冗談をいったのは、われわれの財団は世界で唯一の人間嫌いの財団だということだった。
一九九一年ごろチェコスロバキア(当時)のカルロビバリで開かれたスタッフ会議で、財団なるものに関する私の見解を述べたことを思い出す。 出席者はそれを決して忘れないはずだ。
財団は腐敗と非能率の温床であり、新しい財団を設立するよりも、うまくいかない財団を解散するほうが大きな成果になると思う、と私は述べた。 欧州の財団のスタッフがプラハに集まった時には、ネットワーキングとは「ノットワーキング」すなわち「働いていない」という意味だ、と述べたこともある。
時とともに私が丸くなったことは告白しなければならない。 ヘッジファンドの運営と財団の運営の間には違いがある。
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私は「カリスマ的」人物になった。 幸いなことに、私は他の人々ほど私自身を信じていない。
私は以前ほど強烈には自分の限界を感じていないにしても、それを忘れないように努めている。 しかし他のカリスマ的人物は、私と同じ道を通って指導的地位に到達したわけではない。
彼らには私と同じ記憶はないだろう。 彼らはおそらく、つねに他人の信頼を得ようと努力し、ついにはそれに成功したことを思い起こすだろう。
彼らは自信喪失にさいなまれていたわけではなく、それを表明したいという衝動を抑える必要はなかったのである。 現在の私の「カリスマ的」人格が金融市場やファンド・マネジャーとしての以前の私とどんな関係にあるかを考えることは興味深いことだ。
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